多様性とイノベーションが彩る
日本の玄関口から始まる“働き方改革”への挑戦

日本の玄関口、東京駅八重洲口前にそびえるTOFROM YAESU TOWER。ウェルビーイングを軸に、新しい働き方をここから全国へ発信していく

ビル営業推進部 営業開発室 課⻑代理 樋⼝慶多⽒
八重洲、日本橋、京橋――通称 “YNK(インク)エリア”は、現在、国家戦略特区(※1)として地域一体で未来を見据えた都市再生が進行しています。その一方で、目抜き通りを一歩外れると、昔ながらの風情や歴史を感じさせる雑多で味わい深い風景が広がり、この地域が育んできた風土に触れることができます。
またYNKエリアは、圧倒的な“鉄道力”を誇っています。47都道府県のうち34都道府県へ直通でアクセスが可能であり、現在工事が進められている「羽田空港アクセス線」が開通すれば、その利便性は一層高まります。都市機能の強化と国際競争力の向上が期待されるこの一帯は、日本のハブ、そして世界へと拡がるハブとして、ますますその存在感を高めていくでしょう。
ビジネス、生活、文化が融合し、これまでも日本の玄関口として多くの人々を迎えてきたYNKエリア。その“顔”とも言える東京駅の真正面に建つのがTOFROM
YAESU TOWERです。ビル営業推進部営業開発室で課長代理を務める樋口慶多氏は、同ビルがこの地で果たす役割について歴史的な背景を踏まえながら次のように語ります。
「江戸の城下町だった八重洲は、全国各地から様々な人やモノが行き交う活気あふれる街として栄えました。例えば、桶町、元大工町、南鍛冶町といった旧町名には、様々な職人文化が色濃く残されていて、現代にも続く日本のモノづくり精神を感じさせます。また、日本橋と京橋を貫く東仲通りは“骨董通り”と呼ばれ、古今東西のアート文化に触れられる場所として知られています。さらに、この地域は江戸の食文化の発展にも大きな役割を果たしました。特に日本橋魚河岸は幕府に魚を上納する拠点として栄え、江戸の台所を支えた場所としてその名を残しています。そして、五街道の起点となった日本橋には“ゼロキロポスト(※2)”が設けられ、当時から全国を結ぶ交通の要所を担ってきました。広範に張り巡らされた鉄道網と、八重洲、日本橋、京橋一帯の発展や文化の広がりは、切り離せない関係にあります」
明治時代に入ると、八重洲周辺は職人や商人の文化を残しつつも、銀行業や保険業、運送業などの近代産業が急速に発展しました。その後、1914年には東京駅の開業を機に、日本経済をけん引する中枢エリアへと変貌を遂げていきます。さらに、樋口氏は続けます。
「YNKエリアには、新しい文化が次々と生まれる土壌があります。同時に、江戸三大祭りのひとつである山王祭をはじめとする、地域の伝統行事やコミュニティを街の人たちはとても大切にされていて、“粋”を感じさせる下町文化もしっかりと受け継がれています。古き良きものを守りながら、新しいものを柔軟に受け入れて発展を遂げてきた、まさに多様性とイノベーションが共存する街だと感じています。開発に携わる私たちも、地元の方々と共に開発を進めながら、こうした豊かな歴史や文化資源を持つYNKエリアの魅力を次世代へ引き継ぐことがとても大切だと考えています。また、かつて路地が多く存在した頃の、人と人との温かな空気感や連帯感を残したいという想いもあります。私たちが目指しているのは単に新しいビルへと作り変えるだけではなく、このエリアに根付く街の魅力を丁寧に引き出し、それを多くの人々に伝える事です。営業の場でも、単なる物件紹介でなく、こうした想いについても時間をかけて説明させていただいています」
※1 国家戦略特区
地域ごとに規制を緩和し、新しいビジネスや産業の創出を促進する仕組み。自治体や企業が柔軟に取り組める環境を整え、日本の経済成長を後押しすることを目的としている。
※2 ゼロキロポスト
日本の道路網の起点となるポイントを示したもの。江戸時代、五街道の起点として機能し、現在も全国の道路距離の基準となっている。橋の中央に設置された「日本国道路元標」が、これに該当する。