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【日本橋】「伝統的な街」から「先進的な街」へ。歴史と未来が交差するまちづくりの軌跡をご紹介

首都高速道路の地下化計画や、日本橋川沿いの大規模再開発計画で大きく生まれ変わろうとしている日本橋エリア。大手企業や老舗が拠点を構える伝統的なビジネスエリアの一面をもつ一方で、昨今はスタートアップ企業が集積する、先進的なエリアとしても注目を集めています。

大規模な再開発計画や首都高日本橋区間地下化事業などを始めとする「新しいまちづくり」が進められている日本橋エリア。日本橋川周辺は、国家戦略特区の都市再生プロジェクトに位置付けられており、官民・地域が一体となり日本橋再生計画が進められています。伝統的な街の文化や歴史的な建造物は残しながら、首都高地下化により日本橋川沿いの青空と賑わいを蘇らせ、次世代に向けた新しい機能を創っていく──今、まさに生まれ変わろうとしている日本橋エリアの新たな魅力を詳しく解説します。

日本橋エリアの歴史

現在の日本橋エリアは、歴史的な街並みを残しながらも、商業施設やオフィスビルが建ち並ぶビジネスエリアとしての一面も持ち合わせている人気エリアですが、どのような歴史をたどってきたのでしょうか。まずは、日本橋エリアの歴史をご紹介します。

■城下町からの発展
日本橋エリアの歴史は、江戸時代まで遡ります。江戸幕府の開府と共に完成した「日本橋」は、全国各地に拡がる五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点として定められました。現在でも「日本橋」の中心点は日本の道路の原点となっており、道路標識の「東京まで〇〇km」という表記の起点となっています。江戸時代の日本橋エリアには全国各地からモノや人が集まり、その結果、日本経済の中心地として発展しました。
日本橋エリアが大きく発展した要因は、全国から多様な商品が集まる市場の存在です。五街道だけではなく、日本橋川を始めとした水路も整備されており、日本橋のたもとには魚河岸(魚市場)が軒を連ねていました。また、三井越後屋呉服店(現:三越)や白木屋呉服店(後の東急百貨店日本橋店)、大丸屋呉服店(現:大丸)などの江戸を代表する老舗呉服店も日本橋エリアに軒を連ねました。特に、三井越後屋呉服店は「店前(たなさき)売り」「現銀(金)掛値なし」「切り売り」(※)といった革新的な商法を導入し、江戸の商業はさらに発展しました。
文化面でも、五街道の起点である日本橋は、全国各地の情報や文化が交流する場となり、新しい文化の発信地としての役割を果たしました。出版文化や歌舞伎文化の中心地となった日本橋エリアは、江戸文化の形成と発展に大きく貢献したと言われています。

(※)当時の呉服店では、注文を聞いて後から品物を見せる「見世物商い」や「屋敷売り」が一般的だったところを、商品を店先に並べ、値札をつけて店頭販売を行う「店前(たなさき)売り」を始めた。また、支払いは後払いの掛売りが慣習だったところを「現銀(金)掛値なし」とし、店頭での現金取引を行った。その他、当時は「一反単位」での取引が慣習だった呉服を、「切り売り」するという呉服店のタブーを断行し、大きな利益をあげた。

■金融・商業の中心地
明治時代以降、日本橋エリアは金融業の中心地としても発展しました。特に日本橋兜町では、明治6年(1873年)に日本初の銀行である第一国立銀行(現:みずほ銀行)が設立されたことを皮切りに、明治11年(1878年)には東京株式取引所が誕生。その後も、為替会社や通商会社など金融関係の会社が多く設立され、日本経済の中心地となっていきました。
また、明治時代以降に多くの百貨店が開業しました。その先駆者は三井越後谷呉服店を前身とする「三越呉服店」(現:三越)です。明治37年(1904年)に「デパートメントストア宣言」を全国主要新聞に掲載し、日本初の百貨店を開業しました。イギリスのハロッズ百貨店を模範として、洋傘や靴など様々な輸入品を取り扱い、品揃えの幅を広げました。この頃の日本橋エリアは、老舗商店と近代的な百貨店が共存する、商業の中心地でした。

■関東大震災、そして戦後復興
大正12年(1923年)の関東大震災によって東京全土が大きな被害を受けました。日本橋エリアも震災による火災に見舞われ、三越や白木屋などのデパートもすべて焼失しました。日本橋の魚河岸も焼野原となり、その後築地へと移転することになります。当時、日本橋エリアは薬品問屋が集積していたこともあり、火が瞬く間に広がり、被害が甚大になったと言われています。明治35年(1902年)に建てられた三井本館も甚大な被害を受けましたが、震災を契機に建て替えが行われました。「壮麗」「品位」「簡素」という3つのコンセプトの下、耐震性能に優れたクラシカルな外観の建物へと生まれ変わりました。
復興が進む日本橋エリアでしたが、昭和20年(1945年)には第二次世界大戦下で東京大空襲に見舞われます。現在でも日本橋の歩道には当時投下された焼夷弾の跡が残っています。戦後の日本橋エリアは露店(ヤミ市)が建ち並んでいましたが、GHQの指示により露店整理が進められ、本格的に街の復興がはじまりました。昭和40年頃には百貨店や金融業を中心とした経済も復活し、日本橋エリアは徐々にかつての賑わいを取り戻し始めました。

■高度経済成長期から現代
高度成長期に入ると、交通量増加への対策として高速道路の建設が急務となりました。日本橋エリアも例外ではなく、日本橋の上空に高速道路を建設する計画が進められ、東京オリンピック開催に合わせて開通しました。1980年代にはバブル景気で日本全体が賑わいましたが、その収束と同時に日本橋エリアでも勢いに陰りが見え始めます。地方銀行などの金融機関の撤退、「東急百貨店日本橋店」の閉店など、日本橋エリアの主要産業ともいえる金融・証券業や商業が目に見えて衰退していきました。
こうした背景から、日本橋エリアの企業や地域住民はこのエリアにかつての賑わいを取り戻すべく官民・地域一体となって「日本橋再生計画」に取り組みました。 計画の先駆けとなる商業施設、「COREDO日本橋」が東急百貨店日本橋店の跡地に誕生すると、これを皮切りにエリア全体で再開発が進みました。2014年には「日本橋再生計画第2ステージ」として、「界隈創生」「産業創造」「地域共生」「水都再生」のキーワードの下、街づくりへの取り組みが加速します。製薬系企業が集積する地域特性を生かし、ライフサイエンスイノベーション分野の拠点を設置したり、「日本橋桜フェスティバル」などの、地域一体となったイベントを開催したり、日本橋のたもとに船着場をつくり、舟運観光を本格化させたりと、日本橋エリアは徐々にかつての賑わいを取り戻し始めます。

そして2019年、再生計画は第3ステージを迎えます。コンセプトの1つに掲げられた日本橋川沿いの「豊かな水辺の再生」計画では、首都高速道路の地下化が進められており、これが実現すると、日本橋川の川幅を含め、幅約100m・長さ約1,200mに及ぶ広大な親水空間が誕生します。空・水・緑を楽しめる広場が整備され、日本橋エリアと東京駅周辺エリアがシームレスに繋がることにより、エリア全体の回遊性が高まることが予測されます。日本橋エリアは、多くの人で賑わう東京の新たなランドマークとなるでしょう。

日本橋エリアの特徴

日本橋エリアは、江戸時代から現代に至るまで、東京のビジネスエリアとして重要な役割を果たしてきました。現在では次世代を担うスタートアップ企業や、数百年の歴史を誇る老舗、そしてグローバル企業が共存する多様性あふれるビジネスエリアとなっています。ここでは、日本を代表するビジネスエリアとしての日本橋の特徴をご紹介します。

■日本橋エリアのオフィス環境
日本橋エリアは東京駅に近接しており、成田・羽田空港へのアクセスにも優れている点も大きな強みです。また、日本橋・江戸橋を中心に複数の大規模再開発が行われており、将来的に大型オフィスビルの新規供給が予定されています。さらに、大型カンファレンス施設の拡充など、ビジネスの展開に最適な環境が整う開発も計画されています。

また、日本橋エリアでは次世代を担うスタートアップ企業への支援も充実しています。江戸時代から薬問屋が建ち並んでいたこともあり、特にライフサイエンス領域におけるイノベーション創出への取り組みが盛んに行われているエリアでもあります。例えば、三井不動産株式会社は、ライフサイエンス拠点となる「GLOBAL LIFESCIENCE HUB」を開設し、国内外のアカデミアやベンチャーキャピタルを集積しています。グローバルな連携の促進を目的としており、ライフサイエンスを軸とした様々な交流や、新たなイノベーション創出の場として期待されています。なお、ライフサイエンス分野のスタートアップ都市ランキングで上位となっている、ボストン・ケンブリッジ(米国・東海岸)でも「産業×アカデミア」の仕組みづくりが採用されており、大手製薬会社とスタートアップ企業が互いに事業を持続・成長させる上で連携を図りやすい環境が整備されています。
一方、一般社団法人ライフサイエンス・イノベーション・ネットワーク・ジャパン(LINK-J※)は、東京都が主導する創薬・医療系スタートアップ育成支援事業「Blockbuster TOKYO」プロジェクトにおいて、エコシステム形成支援者(プロモーター)として選定され、スタートアップ支援やコミュニティの活性化・拡大、またアカデミアの誘致などにも取り組んでいます。三井不動産による「場の整備」とLINK-Jによる「コミュニティの構築」により、日本のライフサイエンス領域はより一層発展することが期待されます。

さらに、現在はライフサイエンス分野に加えて「宇宙」「モビリティ」「食」の分野においても産業領域を拡大しており、産・官・学の連携を軸に、新たな産業を創造することを目指しています。今後も日本橋エリアにはスタートアップ、大手企業、研究機関などが集積し、人・モノで賑わう街として発展することでしょう。

(※)三井不動産株式会社が東京・日本橋のライフサイエンス産業の「コミュニティ構築」のため、アカデミアと産業界の人々とともに2016年に設立した団体。

■様々な分野の企業が集積する街、日本橋
先述した通り、日本橋本町周辺エリアには江戸時代から薬問屋が多く集積しており、古くから「くすりの街」として栄えました。現在でも国内外の製薬企業の本社などが集積しており、日本を代表する5大製薬会社の内、3社が日本橋に本社をおいています。
その他にも日本橋エリアには、特徴的な企業集積が見られます。例えば「日本のウォール街」と呼ばれる日本橋兜町も、江戸時代から続く「証券・金融の街」です。現在でも東京証券取引所ビルがあり、2021年8月に竣工したオフィスビル「KABUTO ONE」には金融機関や証券会社、IT企業などが多数入居しています。
さらに、現代の日本橋エリアは「スタートアップの街」として注目を集めており、中央区では5,000万円以上の資金調達に成功したスタートアップ企業の数が70社を超えています。日本橋エリアでは先述の通り、経営サポートなどが充実していることもあり、スタートアップ企業が参入しやすい土壌が整っていると言えます。渋谷、六本木に肩を並べるスタートアップ企業の一大拠点となることを目指しており、大企業や上場企業が集積している日本橋エリアならではのスタートアップ支援を展開しています。


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日本橋エリア(八重洲・京橋周辺含む)の空室率・平均募集賃料

■空室率
2024年8月の主要大型ビルの空室率は1.76%でした。2023年9月をピークに、緩やかに下落し2024年に入ってからは3%を下回る数字となっています。2024年1月に大型空室の埋め戻しで3.21%まで改善し、2024年8月には約1%台まで改善しています。

■平均募集賃料
2024年8月の主要大型ビルの平均募集賃料は40,571円/坪でした。空室率が比較的高い時期には41,000円/坪台を推移していましたが、2024年に入ってからは高価格帯の物件で成約が進み、38,000円/坪台前後まで下落しています。

日本橋エリアの再開発計画

現在、日本橋川周辺の5地区で大規模な再開発計画が進行中でおり、その中心となる事業は、首都高速道路日本橋区間の地下化です。首都高速道路の地下化により、地上部分に新たな空間が生まれ、エリアの利便性と快適性が大幅に向上することが期待されています。この再開発計画により、日本橋エリアはビジネスエリア・観光地として、さらに魅力的な街へと発展することが期待されます。ここでは、日本橋川周辺の再開発計画の中から、2つの事業計画をご紹介します。

■日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発事業
この再開発計画のポイントは下記の通りです。

・日本橋川沿いの連続的な水辺空間と歩行者基盤の整備
・国際競争力の強化に資する金融・ライフサイエンス拠点の形成
・防災対応力強化、環境負荷低減

日本橋一丁目中地区の開発では、「国際金融投資・東京」の形成に向けた課題を解決するための計画が予定されています。例えば、現在東京には1,000㎡を超える大規模カンファレンス施設が少なく、特に東京駅周辺では「東京国際フォーラム」「ベルサール日本橋」に限られています。この課題を解消するために、都心型複合MICE拠点の整備を計画しています。施設内には大規模ホール(1,500㎡)、多目的ホール(1,300㎡)、中小会議室(合計約1,700㎡)、国際水準ホテル等(合計24,700㎡)などの機能が集約され、大規模国際カンファレンス等の開催に必要な機能が整備される予定です。これらの施設を含むC街区の計画建物は、地下5階、地上51階建、主要用途は事務所・店舗・ホテル・住宅・カンファレンス施設・ビジネス支援施設・駐車場等で2026年に竣工予定です。

その他、日本橋川沿いの水辺空間と歩行者基盤の整備も予定しており、歴史的建造物(日本橋野村ビル・旧館)の外壁を保存しながら、歴史ある「日本橋」のイメージを継承した整備計画が予定されています。川沿いの船着場を増設し、舟運活性化・観光需要の受入れも図ります。水辺を活用したイベントの開催なども予定しており、賑わいや憩いを感じられる空間となることが予測されます。
また、現状日本橋川沿いのエリア内を回遊させる動線や空間が不足しているという課題に対して、都営浅草線の改札口新設や、地下からデッキ広場まで円滑に移動可能な地上地下結節空間の整備なども予定されています。快適な歩行者空間の整備により、周辺オフィスビルや広場、水辺空間などへの回遊性向上が期待されています。

■日本橋室町一丁目地区第一種市街地再開発事業
この再開発計画のポイントは下記の通りです。

・日本橋川沿いの連続的な水辺空間と回遊を促す歩行者基盤の整備
・国際競争力の強化に資するライフサイエンス拠点及び居住環境の形成
・防災対応力強化、環境負荷低減

現状では日本橋川沿いの街区は建物が密集し、水辺には近づくことができません。この再開発計画では、川沿いにオープンスペース・プロムナードを整備することで周辺の再開発と連続するネットワークを形成し、賑わいを感じることの出来る歩行者基盤を生み出します。また、周辺道路についても防災性向上・景観形成のために電線類を地中化することで、快適な歩行者空間が整備される予定です。
その他、ライフサイエンス企業のニーズに合った仕様・規模のオフィス・会議室を整備することで、「会議室の規模が小さい」「小規模オフィスが不足している」などの日本橋エリアが抱える現状課題の解決も図っています。
メインとなるA街区の計画建物は地上36階、地下4階建で、2026年度の竣工を予定しています。主要用途は店舗・事務所・住宅等で、特に居住施設には国際水準の住戸を整備し、ライフサイエンス産業の国際競争力強化のため、多様な人々が職住近接で快適に生活できる住環境を提供します。

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日本橋エリアは、江戸時代から商業・文化の中心地として栄え、現在も伝統と革新が共存するビジネスエリアです。さらに、大企業の本社や多様な業種・規模の企業が集積し、互いが交流・協業することで相乗効果を生み出している先進的なエリアとも言えます。再開発によって、大規模オフィスビルやカンファレンス、さらにワーカーにとって憩いの場となる水辺空間などが生み出されることで、より一層ビジネスエリアとして充実した環境になるでしょう。

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